親子3人でなんとなく母子家庭やってます!😳😱😓

離婚を経て母子家庭になって早数年。頼れる親族がいない中、子供二人とそれなりに楽しく生活をしています。そんな他愛のない日常のつぶやきです。

私は継母のいる実家がいまだに大嫌いな理由

私の両親は、私が幼いころに離婚しており、私は父親に引き取られました。

私自身、産みの母親のことは全く記憶にはありません。

 

私の記憶に残っている最も古い記憶は、おそらく年少くらいの頃、父と祖母の3人で平屋の借家で過ごしていたころのことです。

いや、正確にいえば私は父と二人で暮らしていたのではないかと思います。そこに祖母がほぼ泊まり込みのように私のお世話と家事をしに来てくれていたのだと思います。実際には祖母が所有する家(父からすると実家)が別の場所にあり、のちにそちらに引っ越しをしました。

 

私が小学生上がって生活が落ち着いたころに父は再婚しました。

私とは姉妹くらいの年齢差しかない若い継母ができたのです。

 

しかし、この継母がなかなか強い人でした…

 

はっきり言うとモラハラ気質があったのです。

 

子どもである私には感情で怒ります。私は座ることも許されず立ったままで数時間以上に及ぶお説教を聞かされます。それに対しての私の返事は、継母の気に入るものでなくてはいけませんでした。お説教は同じことを延々と話すところから始まります。過去の私の失敗を蒸し返してはさらに怒ったりもしていました。

もちろん、様々なものも私をめがけて投げつけてもきました。

 

包丁・扇風機・辞書…どれも当たり所が悪いと大事になってしまうものばかりです。おそらくですが、あえてそういうものを選んでいたのだと思います。

 

冬場に頭から冷えたお茶をかけられたこともありました。地味に受けるダメージが大きいです。冷たいですし、寒いですからね…。

ですが、熱湯をかけるようなことはしませんでした。

なぜなら、目に見えるやけどを負ってしまうからです。やけどをしてしまうと、周りから『虐待』を疑われてしまうからです。そのあたりがモラハラ気質そのものです。

見えないように…周りに気づかれないように実行する…そういう人でした。

 

実際に父が在宅しているときは、そんなことをしたことがありませんでした。何かしらで怒っているときはありましたが、暴力をふるうことはなく、私を睨みつけながら無視する程度だったのです。

 

継母と私の間の雰囲気が良くないとき父が決まって、

「お母さんに謝りなさい。」

と私にいうのでした。

見えないところで何があったのかを知らない父にそういわれることも私にとってはつらかったのです。何でもかんでも私が悪者だったのです。

 

同居していた祖母は私には優しかったのですが、強く物事を言う性格ではなかったので、継母によって『いじめ』られていたのです。

継母から祖母に対しての身体的な暴力こそはなかったのですが、父不在時のはっきりとした嫌がらせや、ねちねちと言う嫌味、怒鳴り散らしたり、暴言はひどいものでした。

 

私の記憶の中には、祖母に優しく接している継母の姿は全くありません。

 

 

そんな祖母は、私が成人する前に他界してしまいました。

 

 

自分の奥さんにべったりな父と、私以外には良い顔をする継母、そしてその子どもたち(私にとっては一応兄弟)と私での暮らしは苦痛以外の何ものでもありませんでした。戸籍上では一応家族ですが、私は完全に居候状態…。住まわせてもらっている身として継母からは、食事も一緒に取ることも許されない空気を作られました。

継母は口では決して「ご飯を一緒に食べたくない」とは言いませんでしたが、私が食卓に着くとあからさまに嫌な顔をしていたのです。終始睨みつけられ、ものの5分足らずで「まだ食べているのか」と怒鳴られ、しまいには私の食事は食卓に用意されることもなくなりました。

 

父は夕飯の時間には自宅にいないことが多く、継母から受けている仕打ちのことなんて知りません。それどころか、私が夕食をもらっていない事すら知りません。

たまたま父が夕飯の時間に在宅していて、私が食卓にいないことがあっても、

「ちゃんとみんなと一緒にご飯を食べろよ~。」

とのんきなことを言っていました。用意もされていないご飯をどうやって食べろっていうんでしょうか…多分継母から都合よく言いくるめられていたのだと思います。

 

この当時の私の栄養源は学校の給食からがほとんどだったと思います。

 

 

就職をしてから通勤時にバイクで事故にあってしまったのですが、相手が有責であったため、まとまった慰謝料がいただけました。それを機に大嫌いな実家から半ば強引に自立をし、やっと私に自由が訪れたのです。継母は最後に「慰謝料は全部お前のものにするつもりか!」とにらみつけてきましたが、実際にけがをしたのは私だし、実家には何一つ迷惑をかけていないですので、無視することに決めました。

 

自分で生活することは金銭的にも大変でしたが、ようやく自分の居場所を作ることができたのです。もちろん食事もきちんととることができましたし、何もおびえるものがないという快適な空間が手に入ったのです。

 

…数年後、再びモラハラ人に捕まってしまうのですが・・・

 

 

この当時、今ではすぐに「虐待」扱いされそうなことが日常的におこなわれていました。ですが私が子どもの頃は、世間はそれほど児童福祉に対しての関心はなかったように感じます。実際に家に帰りづらく、夜中まで中学校の制服姿で外で一人座っているところを警察に保護されたこともあったのですが、結局そのまま自宅に帰されたのです。

普通に考えて、真夜中に中学生が一人で外にいること自体がおかしいですよね。警察の人も大人ならば「自宅に帰ることのできない事情がある」ことくらい想像できたと思うのです。ところがあっさりと自宅に帰した…結果、家庭内で何かあってからでは遅いので、今の時代ではちょっと問題になってしまうでしょう。

 

このころは私にとってはまさに暗黒時代でした…命があってよかった・・・

 

継母に言われた、されたモラハラの内容につきましてはまた別の記事で書こうと思います。最後まで読んでくださりありがとうございました。